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事実が複数存在してしまうからこそ、対話に重きをおくべき。

これから書くことが当たり前だと思う方もいるだろうけど、それは恵まれた環境にいるとも言える。

先日、久しぶりに受講した介護支援専門員現任研修において「記録は開示義務があるから、開示してもいいように記載方法に充分注意して下さい」という指導があった。果たして現任研修においてそのような指導がなされることが適切なのか、はたまた今更と思うかは人それぞれだろうが、このような指導に振り回されるケアマネジャーはたくさんいるのだろう。

まぁ自分が高齢者福祉の仕事を始めたばかりの頃も「記録は5W1Hで事実を明確に書きなさい」とよく言われたものだ。それ自体は決して否定できるものではない。

だが、現在の自分の仕事、ケアマネジャーも記録がとても重要になっていて自らが最も大切と思っている面接という作業より記録作業を求められていると思うことが多々ある。

だからこそ、ケアマネジャーになってから事務作業の効率化を図ることについて質問されたり、OJT等で伝える際は、目の前の方々と向き合う時間をより多く作る為だと伝えてきた。

この記録というものはケアマネジメントプロセスを展開するに当たって開始から終了まで逐一必要とされ、それが事実(≒過去)の積み重ねとして様々な根拠となる。

しかし、この記録と言う事実(≒過去)とは実に曖昧なものだ。

そもそも人が事実を認識した時点から過去の出来事として認識されるが、そこに10人いれば、10通りの認識が存在する。つまり、10通りの事実が認識されると考えられる。

そして、人から人へ伝達されることで言語コミュニケーションの曖昧さや利害関係、受け手の経験、知識のフィルターを通し、更に新しい事実が伝播してしまう。

また、介在している人たちのパワーバランスによっても事実が変化し、介在者Aが事実と異なると判断しても介在者Bの力によりそのことを伝えられず、Bの認識が事実となるということもあるだろう。

子ども頃から慣れ親しんでいる歴史や昔話だって現存している書物から捉えられている物事であり、事実と乖離していることも多くあると思われる。

ではどうすればいいのか。

もちろん前述の曖昧さを生む要因を解消する事は困難であろう。記録をまったく無意味と判断することもおかしなことになる。だからこそ、やはり本来重要とされることは「面接」であり「対話」である思える。そして「対話」をする為の材料として主たる介在者の主観的意見を記録した所謂「複数の事実」を使用し、擦り合わせ、統合していくことが必要になる。

そうして、統合されたものは事実の主たる人物の「自己実現」や「自律支援」等々、「ある目的」を持った「事実」として活用されることとして意味を成すのだ。

そして、そう考えると「記録」とは、ただ単に制度上必要なものだったり、開示義務に見合った証拠として存在するのではなく、曖昧だから意味がないとも言わず、「目的をチームで見つけていく為の材料」という点をもっともっと浸透させることが出来れば「記録」自体に意味を明確に持たせることが出来るのではないだろうか。また、何を記録として残すべきなのかを整理することが出来るのではないだろうか。




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想い | コメント(4) | トラックバック(0) | 2011/02/28 21:04
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