スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --:--

ブラックボックスの中身はあるのか。

皆さん、お疲れ様です。

今日は珍しく日曜更新します。

先日から発信している新様式案についての考察の続きです。

前回、僕は新様式案に入っている改善可能性の判断根拠はアセスメントの項目に加えるということであればありだと思うという意見を書きました。
でも、最近のケアマネジャーのあり方議論をウォッチし、自事業所や地域の現状を鑑みて思うことがあります。
それは、果たして現在のケアマネジメントの中でそもそもアセスメントとはどの程度機能しているのだろうか、また、みな、自分のアセスメントにどれだけ自信を持っているのだろうかということ。
介護保険制度がはじまって様々なアセスメント方式が出てきましたが、情報収集から課題の分析、抽出のプロセスは明確でなく、非常に感覚的に行われていることが多いのではないでしょうか。ケアマネジャーに関する意見交換の場では、インターネット上でもリアルな場でも経験豊富なケアマネジャーは頭の中で情報処理を行うから、面接をしながら答えを見つけ出していくんだと言われているのを目にし、耳にします。まあ、それも間違いではないでしょうが、つまるところ、現在の状況で言えば、アセスメント表を書くことは、ケアマネジャーの情報の記憶装置だけになっているので、思考はその日のケアマネジャーや利用者の様々な状況、伝え方のダイナミクス等々の影響が強く出るだけでなく、曖昧な情報のつながりで答えが導きだされていくということになりますよね。あるいはアセスメント表を書くことすらされず、耳に入ってきた時の直感だけで情報処理がされていくこともあるかもしれません。このケアマネの頭の中だけで他の人には理解出来ない過程をいわゆるブラックボックスと表現されているのだと思いますが、そう考えると改善可能性を判断しても感覚的に処理されるので、情報が繋がらなかったり、取り残されることが発生すると思われます。まあ、ある意味、そんなことは重々承知だから予防プランと新様式案にはアセスメント要素が加えられ、やらざるを得ない状況にされているということかもしれませんね。こうなると卵が先か鶏が先かという感じですが、いずれにせよ、何度も考えろというシステムなだけで感覚的に処理されることには変わらないですよね。
さて、では、このブラックボックスと言われているものには果たして何がつまっているのでしょうか。先日、ある知人とこの話をした時、何も詰まっていないのではという回答がありました。それを聞いた際は「さすがにそこまでは」という想いになったんです。その時は・・・。人により量の違いはあれど多少は詰まっているのではないだろうかと。じゃあ、自分のブラックボックスを開いて考えればいいだろうと思い、実践をしてみたんです。手法は最近勉強をし始めているアローチャート。思考過程でフレームワークを視覚的に残していくということなんですが。
すると、まあ、びっくり自分の想定していた答えとはちょっと違う感覚に陥ったんですよ。
まず、最初に思ったこと。感覚でつなげられていると思っていた情報がつなげられていない。ここで既に自分の考えが破綻していく感覚がありました。そして、次に感じたことは繋がっていっていると思っている情報が端から消えていっている感覚です。そうなると、このブラックボックスの中身は量の違いはなく、最終的な答えしか残っていないのではないかという話です。
すると、仮に後付けでアセスメントを行うこということがされたとすれば、ブラックボックスの中身からの逆算ではないかとも考えられるわけです。因みに後付けのアセスメントというと反論や誤解が生じそうなので補足をすると予防プランや新様式案のように計画策定に際してもアセスメント要素が入っているということは、どう考えてもアセスメントの作業を後付けすることに他ならないと思います。
さて、そうなると、ちょっとしたねじれ現象として計画策定をした後に再度アセスメントをして計画を修正するということが発生しているのではないかということで、延々と答えがみえなくなっていくと。もちろん、作成時に違和感を感じたらですが。
まあ、分析をするという点では、行ったり来たりしながら検討することは必要なことだとは思いますが、このような過程を経ているとしたら、多くのケアマネジャーは自分の作ったものにどこまでも確信が持てず、諦め半分でプランを排出することになりかねない。そう考えるとサービスイメージが先行する例や御用聞きと言われる例は、より明確な答えがあるとその場では思えるのもわからなくもないというメカニズムなのかもしれないですね。
つまり、このままでいってしまうと、改善可能性の判断根拠を明確にしていく作業により更に白黒答えがないとアプローチが出来ないという状況を産むことにもなりかねない。ですが、人の想いや生活は判断できず、割り切れないことがたくさんありますよね。仮に明確な答えが見えていて、当事者も分かっていたとしても割り切れない思いが解消されないと、その答えには向き合えないように。だから、思考過程と言っても、この不確定要素の思考過程を他に見えているエビデンスとともに目を向ける方法を、見て聴いて触れておぼえる職人技ではなく体系的に伝承することが出来ればケアマネジャーは専門職としてもっと認められるのではないでしょうか。
まあ、アセスメントという一面だけを焦点化しているので他の要素についても当然、必要なことも十分理解しておりますのであしからず。



ランキングに参加してます。これからも多くの方々に我々の活動を知っていただきたいと想っています。1日1回ポチっと押してください。よろしくお願い致します。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 介護ブログ 高齢者福祉・介護へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ



blogram投票ボタン
スポンサーサイト
ケアマネジメント | コメント(4) | トラックバック(0) | 2012/09/09 21:20
コメント
暗黙知から形式知
暗黙知を形式知へ変換するのは難しいことが多々ありますね! 暗黙知への誤解があったり、全てを形式地化する流れ。。。。

暗黙知を言語化することだけでも、難しいことがある。教育レベル・育った各種環境・価値観などの違いから、誤解もあるでしょう。

求められるエビデンス、説明責任などの比較的最近の概念も重要視されている。

ある程度経過すれば、振り子の原則も発生するので、また180度違う流れになることもあるでしょう。。。

思考も行動も偏らず、質を上げていくことが重要である。

自らの振り子の動きの精度を上げたいが、なかなか難しい。


No title
新様式案は、そもそも、現場からの意見で作られたのではなくて、“管理する側”がしやすいようにと、 いう発想から作られたもので…もっと言うと、現場のケアマネが 「こんなことも出来ていない」という意見から出てきたものなので、とても不快感があります。

社会保障審議会でも、やはり、「管理する側」の人たちが多く、現場の人=味方なる構成員は、いないように見受けられました。

前回の議論でも、前置きに「私は、現場寄りの人間ですが…」と控えめに言う方はいるのですが、「これは、現場の意見です!」と自信を持って言って下さる方がいないので、何か変な感じがしていました。

厚生労働省からは、「現場の人間はいないが、現場の意見を吸い上げられる方を構成員として選んでいる」と説明があった筈なのですが、どなたも現場の意見を吸い上げていないのでしょうか。
「現場の意見なんか聞いてもしょうがない。」と、構成員から聞こえてきた言葉が、聞き間違いだといいのですが…。

また、心配している点がひとつあります。
「管理しやすい様式」ということは、(この様式でデータをとっていくようですが)、研究者や管理する人が、集計&分析しやすいようになっているということです。
つまり、先に書いた文章の通り、「今のケアマネは、こんなこともできてません。」という結果が出てしまい、また、給付抑制につながっていくのではないか?という懸念です。そして、一度そうなると、今後もずっと管理され続けてしまうということです。

怖いな~。
No title
ガチョウさま、お疲れ様です。

>思考も行動も偏らず、質を上げていくことが重要である。

納得です。

納得ついでにウナバーガー今度ごちそうしてください(謎爆)
No title
いちケアマネさん、はじめまして。

私と同じように審議をウォッチされている方とお見受けしますが、ご指摘のように現場の意見が反映される状況はほぼ無くなっている感じですね。
まあ、ご指摘の通り今後のケアマネジメント向上委員会に向けての懸念。怖いという気持ちを私も感じますが、現任のケアマネさん達ももっと感じるべきだとは思いますが・・・。

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。